琉球王国のグスクおよび関連遺産群 首里城
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 首里城は、尚巴志による3山統一(1429)から明治政府による廃藩置県(1879)までの450年間、歴代琉球王朝の政治や国家儀礼そして祭祀の中心地であった。首里城が最初に建てられた年代は古文書などの歴史的文献では明らかではありません。ですが発掘調査などによって、首里城の最古の遺構が14世紀末のものであることが判ってきています。1400年代の早い時期から首里城は中山の王城として存在ししていたものと考えられます。
 首里城は内郭と外郭の2重の城壁によって守られています。外郭に4つ、内郭に9つの門があり、正殿を中心に東側は「内」、西側は「表」と呼ばれ「内」に国王の住まいや御内原という御奥があり、「表」に正殿前の御庭(うなー)、南殿、北殿そして奉神門があり王国の国家的な行事や政治がおこなわれていました。その面積は19,000坪(62,000u)もあり、東西に400m余、南北に約270mの規模を誇っています。しかし首里城は沖縄戦も含めこれまでに4回も焼失したと言われて来ました。しかし、1712年(6代将軍、家宣)の首里城をモデルにをモデルに。

        1972(昭47)年5月15日/国指定     
        2000(平12)年12月2日/世界遺産登録

 14世紀、東アジアには4つの王朝がほとんど同時に誕生しました。東の大和朝廷、西の明王朝、北の李王朝、南海の琉球王朝です。それぞれの王朝は宮殿を建立し、日本には御所、中国には紫禁城、朝鮮には慶福宮、そして琉球には首里城がありました。 尚巴志は永楽帝の紫禁城建立から10年遅れる1417年、首里城建設に国力を上げます。首里城も紫禁城と同じく、7つの門を通って初めて国王に会えたのです。
DATA
          入場料金
 大人(16歳以上)     800円
 小人(中学生以下)    600円
※タクシー   空港から2,200円
          首里駅から500円
「七つの門」を通り、首里城正殿へ
 中山門から始まり、奉神門を経て首里城正殿に至る七つの門。その通り沿いには、歴史を感じさせてくれる様々な見所が存在します。龍樋、柵封七碑、日時計、万国津梁の鐘、首里森御嶽、系図座、西のアザナなど。昔の琉球王朝の栄華を偲びつつ、散策してみましょう。
 漏刻門を過ぎると、左側に那覇と浦添の街が見渡せます。遙かなたには読谷半島も展望できます。系図座と京の内の間を通り、西のアザナに登ろう。 
中山門 守礼門 歓会門
 瑞泉門
 漏刻門
広福門
 奉神門
「下之御庭」の南側に首里城内至高の御嶽「首里森御嶽」

京の内

 広福門をくぐり、「下之御庭」の南側の城壁内は「京の内」と呼ばれる信仰儀式の場でした。首里城の二割を占め、城内では最も古い城郭でした。昔は城郭内に4〜5の御嶽があったと言われています。

南殿・首里城正殿・北殿を見る                                         ☆ページの上に戻る

北 殿 正 殿 南 殿
 北殿、正殿、南殿とそれぞれ中に展示物があり、琉球王朝の栄華を知ることが出来ます。過去、首里城は4回、焼失。現在の首里城は4回目の再建になります。
1453年 志魯・布里の乱で焼失
1660年 失火
1709年 失火
1945年 沖縄戦で焼失
2019年 漏電で失火
首里城正殿一階 首里城正殿ニ階    首里城復興支援(沖縄県)

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