沖縄の世界遺産
琉球王国のグスクおよび関連遺産群 勝連城跡
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 勝連城跡は11〜12世に築かれ与勝半島の付け根近くの標高100mの丘の上にあり、周囲は断崖になっていて,守りやすく攻めにくい城であった。第1尚氏の王権が確立しつつあった時代にあって、首里王府に対抗しうる勢力をたくわえていたいたと思われます。 勝連グスクは「おもろそうし」の中で京や鎌倉にたとえられて歌われています。首里王府の勢力下ではあったが、首里王府は自らをいつかおびやかす勢力になつると、予感し、護佐丸を中城に移封したと思われます。
 1458年、勝連城主の阿麻和利は中城の護佐丸を攻め滅ぼし、次に首里王府を攻めたが、大敗し,滅んだと言われています。もっとも高い所にある1の郭に登ると北の山原の連山、南に知念半島を望み、南西に中城グスクが見える。壮大なロケーションの前でたたずむと当時の阿麻和利の心が見えてくるような気がする。
1972(昭和47)年5月15日 国指定史跡指定
2000(平成12)年12月02日 世界遺産登録

 1200年前後の築城は沖縄のグスクの中でも早い時期になります。棚田状に一の郭、二の郭、三の郭、四の郭、東郭からなり、瓦ぶきの建物や殿舎が建ち、大和系の古瓦、須恵器、高麗瓦、青磁、南蛮陶器、玉類(ぎょくるい)、鉄釘、銅製品、武器、鎧など、日本本土、奄美、朝鮮、中国、アジアなどとの盛んな交易を伺わせる遺物が出土しています。
 勝連グスクの正殿は南向きです。太陽神と王権が相対している古いグスクです。正殿の向きで王権思想の変遷も見えてきます。
「勝連わ てだ(太陽) 向て、門 開けて、真玉 金 寄り合う、玉の御内」 「勝連グスクは 太陽向かって 門を開いているので 玉の御内(正殿)には真玉 黄金が寄り集まる」
※おもろそうし第16巻
 王と太陽神が一体化した首里城はもはや正殿が太陽に向かう必要がなくなり、太陽神となった王の正殿は西向きなった。

 
 

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