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琉球王国のグスクおよび関連遺産群 中城城跡 | ||||
園比屋武御嶽 | 首里城 | 玉 陵 | 識名園 | 斎場御嶽 | 中城城跡 | 勝連城跡 | 座喜味城跡 | 今帰仁城跡 |
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☆入園料金 大人 400円(団体300円) 中/高 300円(団体200円) 小学生200円(団体100円) ※団体扱い;20名以上 |
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中城城跡は中城湾を望む標高160mの石灰岩陵上にあり、東北から西南に連郭式に築かれたグスクです。城は6つの郭からなり、高いところで20数メートルの断崖の面した自然の要害の上に建てられいる。
この城は、座喜味城を築き、築城家として名をはせた護佐丸が、王府の命をうけ、勝連半島を支配していた阿麻和利けん制するために座喜味城から移封され創建した城といわれている。
この城が築城された当時の琉球は第一尚氏による国家的統一の局面にあり、琉球王朝の成立の中で占めた中城の位置は高かった思われる。護佐丸が阿麻和利に滅ぼされて以降、この城がどのような過程を経たのか定かではありません。
しかし、第2尚氏になると、中城は王府の直轄となっている。
☆指定面積110,473㎡うち城郭14,473㎡ 1972(昭和47年)年5月15日 国指定史跡 2000(平成12)年12月2日 世界遺産登録 |
◎ 護佐丸 ◎ 護佐丸の祖父は北山系の武将でしたが北山の戦乱で山北を追われ、恩納村山田に逃げ延び、山田グスクを築きます。護佐丸は20代~50代まで尚巴志に使え、北山攻略(1416年)、南山攻(1429年)で猛将の名を馳せます。 護佐丸は北山攻略で武攻を認められ、北山監守・今帰仁城主となります。その後,首里王府は護佐丸の軍事的影響力を削ぐ為に座喜味城主中城城主と目まぐるしく移動させます。 護佐丸と勝連の阿麻和利の争闘は№2と№3を同時に葬り去る為の首里王府の策略だったかも知れません。 |
南 の 郭 | ||
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隆起石灰岩の上にそびえる城壁 | 正門。矢倉が載っていたと言われる。 | 階段を上ると聖域です。 |
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久高島遥拝の御嶽 | 首里森御嶽遥拝のための御嶽 | 弓矢を射るための狭間(さま) |
一 の 郭 | ||
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一の郭(本殿)へのアーチ門 | 基壇の上に本殿跡(発掘中) | 中城湾を望む観月台 |
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中城城で最も広い郭。本殿があった。護佐丸が宴を催した観月台もある。後に間切(まじり)番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で消失。二つの御嶽がある。城内には八つの御嶽があるという。 | ![]() |
発掘調査中の本殿跡 | 二つの御嶽があります。 | |
二 の 郭 | ||
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一の郭と二の郭を結ぶアーチ門 | 大きな石碑は関係のない日露戦争の忠魂碑 | 二の郭から三の郭と勝連半島を望む |
三 の 郭 (新グスク) | ||
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新グスクへの階段は大変急です。 | 二の郭から見た北の郭と新グスクの階段 | 階段を上ると相対積みの城壁がそびえる。 |
西 の 郭 | ||
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北の郭から崩れたアーチ門へ。 | 修復工事のため埋められ道路が出来ている。 | 1853年5月頃(ペリー随行の画家ハイネ) |
北の郭 | ||
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裏門。現在はこちらが見学路の入り口。 | 裏門の物見台から北の郭を望む。 | 三の郭は大切な水源を取り込む。 |
付近の遺跡など | ||
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昔の遊園地跡広場に世界遺産の案内板。 | 広場の東奥に古墳墓(伊寿瑠按司) | 成田山向けに行くと護佐丸のお墓 |
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護佐丸墓(県道146号線を成田山向途中左) | よくTVに登場する心霊スポット?? | アメリカ統治時代の不良債権の残骸。 |
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